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闘牛も伝統文化である

2011年10月10日

牛の角が顔面貫通、スペインの人気闘牛士
[マドリード 7日 ロイター] スペイン北東部のサラゴザで7日、国内で人気の闘牛士、
フアン・ホセ・パディーヤさん(38)の顔面を牛の角が貫通するという痛ましい事故が起きた。


パディーリャさんは闘牛用の槍を牛に突き立てたあと転倒し、そこへ興奮した牛が突進。角が下あごに刺さり、左眼にかけて突き抜けた。地元テレビの映像には、顔じゅう血まみれのまま「見えない、何も見えない」と言っているパディーヤさんの姿が映された。闘牛場の医師が地元紙に語ったところによると、パディーヤさんは非常に危険な状態で、病院で手術を受けたという。パディーヤさんは長年スペインの闘牛界で上位にランクインしており、持ち前の勇敢さと、どんな凶暴な牛でも立ち向かっていく姿が評価されていた。

スペインの闘牛は現在、動物保護団体からの反対運動を受けているほか、市民の関心の低下や国内経済の低迷で、資金面での運営も困難になっている。
ロイター通信 2011年 10月 8日 12:54
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-23545020111008
<関連記事>バルセロナで最後の闘牛、伝統行事の幕引きに賛否
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-23341920110926





メキシコでも闘牛は人気があるみたいだが、私は見たこともないし、
今後行く予定もないし、というより絶対に見たくない。
闘牛は牛の嬲り殺しにしか見えない残酷ショーだと思うからだ。

沖縄や日本各地にある闘牛は、牛と牛の力比べ相撲であって、
牛を殺して喜ぶショーではない。この辺は民族性であろうが・・・

賛否両論あろうかと思うが、個人的に闘牛は昔から大嫌いである。
私は動物愛護団体の意見をすべて了とする者ではないが、
こと闘牛はいかにも人間の残忍性が滲み出てシナ・朝鮮人を思いだす

無論勇敢な闘牛士の健闘を称える考えもわかるのだが、
一本ずつ剣を牛の背中に突き刺し、じわじわ弱らせて最後に一突きで殺す、
観客が熱狂し歓声を上げる光景は、異常な虐待光景そのものである。


単純だが、牛が可哀想である!
この事故で大怪我をした闘牛士のフアンさんは気の毒だとは思わない。
場合によっては死ぬこともある闘牛である。彼らは怪我を負うくらい何でもないはずだ。
闘牛士は牛と生死を賭けるからこそ、称えられるからである


ただし個人的にスペインの闘牛は大嫌いだが、
禁止するのはいかがなものかとも思う。

ある民族が数百年以上継続してきた伝統文化は、
それなりに敬意をもって尊重されるべきだと考えるからだ。

個人的感情としては闘牛がなくなることには賛成したいが、問題は別である。


スペインでは闘牛は伝統国技であり、300年の歴史をもつ文化である。
その文化を動物愛護の観点から論じるのは非常に難しい。
つまり文化に善悪という道徳的価値観を入れていいのか、
という問題も同時に論じなければならないからだ。

これは日本の鯨・イルカ漁の問題とも大きく関係すると思う。
もっともイルカ漁は食文化の問題だから、朝鮮の犬なべとも同じ問題だろう。
殺すのを見て楽しむ闘牛とはまったく違う問題だとも思うが、
しかし伝統文化という観点ではまったく同じである。

ほかの国民や民族から見て不合理とか理不尽に見えたとしても、
それは民族的価値観の違いだから、他人がとやかく言うべき事ではない。



いまでこそ西洋人も寿司や刺身を箸をつかって食べるようになった。
しかし昔は生魚を食べるのは、野蛮人の行為だと軽蔑さえしていたのだ。
一部にせよ、日本人の生魚食は野蛮人的行為であるという偏見があったのだ。

以前ドミニカ共和国にいたころ寿司や刺身の話題になったが、
彼らには生魚を食べる食習慣がなく、気持ち悪いという印象だった。
だから寿司店はドミ共には、首都サントドミンゴの日本人経営の料理店か、
最新のプラサと呼ばれる大型ショッピングモールに何店舗かあるだけである。

ところが・・・

メキシコシティでは、20年前には寿司店が80店舗あると聞いていたから、
恐らく今では150店舗以上の寿司店があるのではないだろうか。
寿司のチェーン店もあり、しかもメキシコ人経営である。
もちろん朝鮮人経営のまがい物寿司もあるようだが、入ったことはない。

たかが生魚の食文化の話だが、国によっても大きく感覚は違う。
同じラテンアメリカの国でも、食文化の感覚はこれだけ大きく異なる。
だから文化に関しては他国のことに口出しすべきではない。




そうして考えるといつも朝鮮の悪口を言ってる私だが、
日本人も朝鮮人に、悪いことをしたと思えることが一つあった!
日本人は日韓併合時代朝鮮の伝統文化の一部を禁じた事があった。

朝鮮人の遊びだった嘗糞や伝統舞踊の病身舞などを禁止した
それを日帝はウリたちの文化を強奪ニダ~wwwと今奴らは騒いでいる。
確かに朝鮮総督府はいけない事をしてしまったのだ!!!

しかし現在では誇り高い朝鮮人は立派に彼らの文化を復興させ、
嘗糞にかわってトンスルホンタクなどウ●コ料理を再興し、
病身舞演舞者には人間国宝までの地位を与えているから、さすが!である。

ほかにも日本は総督府を通じ、李氏朝鮮王によって禁止されていた、
『愚民の文字』ハングル文字の教育普及に努めてしまったのだ!!!
また両班の特権であった残忍な拷問をも日帝は禁止したのだ!!!

う~~~~~ん、これは朝鮮人の恨みを買うわなあ・・・・(笑)


それぞれの文化は尊重しましょうね(笑)



<国民デモのお知らせ>
『正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現』さんより
◆◆◆10月フジテレビ関係デモ全国開催日程◆◆◆
■【銀座】  10月15日(土) 14時  東京 常盤橋公園 ◇ フジテレビ+キムテヒドラマ抗議デモ
■【花王】  10月21日 (金) 12時  茅場町 坂本町公園 ◇ ランチタイム花王本社抗議デモ 
■【福岡】  10月23日(日) 14時  天神 警固公園 ◇ 九州フジテレビ抗議デモ in 福岡
■【大阪】  10月29日(土) 15時半  中之島公園 ◇ フジテレビデモ@大阪はHalloween

※時間は全て開始時間です。整列等ございますので余裕をもってお集まりください

◆大規模off板⇒http://yuzuru.2ch.net/offmatrix/

◆デモ詳細  ⇒http://fujidemo.info/
■動画
http://www.youtube.com/watch?v=-xYvC1jlLno
http://www.youtube.com/watch?v=taVBnBndtzY







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Posted by トラネコ at 11:00│Comments(5)文化
この記事へのコメント
日本の闘牛は新潟・山古志のが有名ですが
これは牛対牛で、勝負あった、という瞬間に
引き離し、双方に怪我を負わせないように、
また徹底的に負けさせて、負けた方の牛に
気力を失わせないように気遣います。

日本の剣道・剣法も殺傷が目的ではないですね。
詳しくないのですが、相手の眼前に切っ先を
ピタリと据え、「参った」という時点で終り。
表現は記憶していませんが・・・「精神」としては
これであるというのを読んだことがあります。

「惻隠の情」があると申しますか。
土俵内でも負けた相手の手を取り引き起こし
一礼で終わります。
朝青龍がぼろぼろに壊していってくれたけど
土俵内の日本伝統と格式。
Posted by moon at 2011年10月10日 15:47
moon 様
どうも西洋人というか、大陸の民族は脂っこいというのか、血を見るのが好きみたいですね。日本人はアッサリ目の「水に流す」民族ですから、西洋式闘牛は私同様に合わない人が多いのじゃあないですかね?

よい例をお出しになしましたが、武道というのも基本は相手を倒す格闘技ですが、『倒すという技』を極めることへ発展してき、『道』になりました。ですから剣の達人同士の試合は、にらみ合って対峙するだけで一切無駄な動きはなく、それで勝負がついてしまいます。勝った方も負けた方もそれで納得します。勝負あったで相手を傷つけることはしませんね。

相撲もねえ、外人ばっかでつまらないですねえ。外人には『道』という精神は難しいでしょうね。彼らは倒せばいいぐらいの考えしかありませんし・・・
Posted by トラネコ at 2011年10月10日 16:02
縄文時代などは、動物と人間の力関係がそう差がついていなかったと思います。

今は人間の方が圧倒的に強いわけですから、「痛ましい事故」はそれはそうですが、それはないと思いますね。この場合牛を称えるべきでしょう。
闘牛士には気の毒に思いますが。

特攻隊もそうですが、生き物の死や傷は、なにか心が騒いで正常な判断ができなくなるような気がしますね。
Posted by 人形焼 at 2011年10月10日 17:57
日本人は基本的に情があったかいですね。
使ったハサミや包丁、人形まで供養し
食べる魚まで、侘びをこめて儀式をしたり。
靖國神社さんには、軍用犬、馬、鳩の慰霊塔ありの。
元々「彼我」の区別が薄い国。自然とも境界を
くっきり分けませんし。
私は穏やかな自然と海に守られて、育まれた素晴らしい
民族性だと思っています。昨今、ずいぶん壊れて来たにせよ。
無益な殺生はせぬ、という感性は昔からありました。
グルメとかで、舌の快楽だけであれこれの命を奪うごときことは
昔の日本人はしませんでしたね。命をつなぐに最低限のものだけ、「頂きます」と慎ましく。
Posted by moon at 2011年10月11日 01:04
人形焼様
縄文時代もおそらく江戸時代くらいまでは、動物の体力vs人間の知恵が拮抗していたと思います。仰るように対等だったでしょう。闘牛の場合は牛vs人間の対等な戦いだからマタドールが称えられるのですね。ですから闘牛士は牛に殺されても、それは本望というとこじゃないでしょうか。

>特攻隊もそうですが、生き物の死や傷は、なにか心が騒いで
 正常な判断ができなくなるような気がしますね。
これこそが日本人の命を哀れみ大切にする感覚だと思います。


moon様
まったく同感ですね。
日本は八百万の神々=精霊=命の国ですから、無生物にも「カミ」が宿っているという感覚が自然に身についている民族だと思います。恐らく日本人は先進国の中でももっとも人権尊重だし、命の尊さを知っている国民ではないだろうかと思います。近所でなく島国のいい国に生まれたと思います。

<参考>
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2504328.html
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2165840.html
http://ryotaroneko.ti-da.net/e2430434.html
Posted by トラネコ at 2011年10月11日 03:51
 
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